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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)3529号 判決

原告 国

代理人 林倫正 外三名

被告 株式会社 協和銀行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、請求原因事実中、滞納会社が、昭和三四年一一月五日現在において、被告に対し別紙第二明細表に記載する預金債権(但し(3)の預金債権は除く)を有し、また他方原告に対しては別紙第一明細表記載の滞納租税債務を負担していたこと、原告がその主張日時に前記別紙第二明細表記載(3)の預金債権を含めて右預金債権全部を差押え、かつ同表記載(1)ないし(3)の預金債権につき同月二六日まで支払うよう催告をしたことは当事者間に争いがない。

二、原告は右(3)の預金債権も滞納会社の被告に対する債権であると主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて(証拠省略)によると右債権は高野三郎個人の被告に対する債権であることが認められるから、少くともこの債権について、滞納会社の滞納税金取立のための差押としてその支払を求める原告の請求は失当であるというべきである。

三、そこで、被告主張の相殺の抗弁について判断する。

〔1〕  (証拠省略)を綜合すると次の事実が認められる。

(一)  滞納会社は、主に三五ミリカメラを製造販売する会社であるところ、昭和三二年一〇月二一日被告銀行金町支店(以下単に被告支店という)と金融取引を始め、右同日手形取引契約を締結し、手形取引約定書(乙第二号証)が作成されたが、右約定書第四条第二項には「私の依頼により割引された手形については、前項各号の一にでも私が該当したときはその全部を、手形の主債務者その他の手形関係人が該当したときはその手形を、手形期日の前後に拘らず通知催告等の手続なしに直ちに買戻し、手形面記載の金額支払の義務を負担いたします」との定めがあり、また右にいう「前項各号の一」として、同条第一項第四号に「支払の停止」の定めがある。したがつて、右当事者間に右条項にそう合意が成立した。そして、同時に滞納会社社長高野三郎個人が、右取引により将来滞納会社が被告支店に対し負担する一切の債務を連帯して保証する旨約した。じ来、被告支店は、滞納会社との間で右契約に基づき金融取引を継続して来たところ、昭和三四年九月一日から同年一〇月二三日までの間、滞納会社の依頼で、別紙第三明細表記載の約束手形四通(手形金合計金六三〇万円)を割引き、同月三一日現在それを所持していた。

(二)  滞納会社は、従来製造販売して来た三五ミリカメラが時代の流れと共にその型が古くなつたため、昭和三四年一月ころからカメラの新型改良の計画を樹てたが、資金の都合上、その実行に着手できないでいたところ、同年四、五月頃からその経営内容も悪化の傾向をたどり、従業員の給料すらもその支給日に支払えない有様となり、その取引先も業界で信用の厚い株式会社大和商会から、漸次信用の薄い株式会社森田商会に移行し、右森田商会発行の商業手形が多く滞納会社の手に入るようになつた。かかる状況を知つた被告銀行は、次第に滞納会社に対して警戒の目を向けはじめ、被告本店審査部は同年六月以降滞納会社の依頼で手形を割引く場合には、滞納会社の預金の範囲内で処理するよう被告支店に指示していた。ところが、滞納会社の経営は悪化の一途をたどり、遂に同年九月頃になつて資金面で窮地に陥り不渡手形を出しかねない危険な状態にまで至り、同年一〇月三一日現在で負債が約金八、〇〇〇万円にも達したが、滞納会社の資産である土地建物、機械には全部担保権が設定されており、他にその窮境を打開すべき方策は全く発見できなかつた。

(三)  滞納会社は、レオタツクスカメラ労働組合他四名の左記受取人に対し、いずれも、支払期日昭和三四年一〇月三一日、支払場所大和銀行三河島支店とする

(イ) 額面金二〇万円、受取人レオタツクスカメラ労働組合

(ロ) 額面金一七〇万円、受取人昭和光機製造株式会社

(ハ) 額面金一五万円、受取人藤田幸二

(ニ) 額面金五〇万円、受取人墨田社会保険出張所

(ホ) 額面金三〇万円、受取人立川精機株式会社

の約束手形五通(額面合計金二八五万円)を振出し、右各受取人に交付していた。しかし、滞納会社は、前記手形支払期日において、右約束手形を決済すべき資金がなかつたので、滞納会社においてはその対策に腐心していたが、右手形の支払期日である昭和三四年一〇月三一日(当日は土曜日である)に至つても金策の目途が立たなかつたので、滞納会社社長高野三郎と同社経理課長隅田凱栄は、同日午前中取引先である大和商会社長岡等数名の者を同行して、大和銀行三河島支店に赴き、同支店支店長等と面会し、融資を懇請したが、銀行側で要求した大和商会の保証がえられないため、結局融資依頼は断念せざるをえず、また、滞納会社の右三河島支店に対する別口の預金債権をもつて、一時右手形支払金に流用してもらいたい旨を申し入れたが、右三河島支店はこれも滞納会社の他の債務の担保として確保しておく必要があるとの理由で拒否したので、右高野と隅田は、他からの融資は絶望的で、もはや前記約束手形の不渡は必至と判断したけれども、銀行取引停止処分を受けることを一日でも回避したいと考え、翌朝(一日、日曜日)までになんとか資金調達に努力するから、それまで、右五通の手形を持出銀行に返還しないで欲しい旨依頼し、また、滞納会社の右三河島支店における当座貸越の額を形式上増やす目的で、被告銀行金町支店にはそれに相当する当座預金がなかつたのに、滞納会社から協和銀行金町支店宛の額面五〇〇万円の小切手を振出し交付した。

なお当日支払期日が到来した前記五通の約束手形は既に同日各持出銀行((イ)の手形は、東京労働金庫、(ロ)は品川信用組合世田谷支店、(ハ)は平和相互銀行小岩支店、(ニ)は三和銀行浅草支店、(ホ)は東京都民銀行三河島支店)より手形交換所において右三河島支店が受け取り同支店へ支払の呈示がなされた。

(四)  そして、滞納会社の右高野等は、その後被告支店に赴いたが、同人らは前記大和銀行三河島支店で融資をことわられた今となつては、被告支店から融資を受けることもまず不可能と考えていたので、もはや同支店では融資の相談はせず、もつぱら、滞納会社の前述の事情を同支店支店長代理時岡道善に説明し、協力を求めたので、同人はその説明にかかる事実を確めるべく、右三河島支店へ電話で問い合わせたところ右三河島支店においては、前記高野らの懇請にもかかわらず既に滞納会社振出の前記約束手形を不渡手形として持出銀行に返還すべく母店たる東京支店に送付した事実を確認した。そこで、同人はもし手形が不渡になれば、かねての約定に基き、被告支店が滞納会社の依頼で割引いた前記別紙第三明細表記載の約束手形を直に買戻ように要求し、高野等もこれを了承した。

(五)  しかしながら、滞納会社においては、結局、資金を調達しえなかつたので、前記約束手形五通は、その翌々日の同年一一月二日(月曜日)前記三河島支店から手形交換所を通し各持出銀行に返還され、東京手形交換所発行の同日付「特殊不渡第一回報告」と題する報告書第二五三号(乙第三号証)に滞納会社が昭和三四年一〇月三一日不渡手形を出した旨登載されるに至り、右報告書は、同年一一月六日午前九時頃各加盟銀行に配付された。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、被告が昭和三二年一〇月二一日滞納会社と手形取引契約を締結し、その際被告主張のような手形買戻に関する約定が成立し、同時に訴外高野三郎が滞納会社の右取引から生ずる被告に対する債務一切を連帯して保証したこと、被告が滞納会社の依頼で別紙第三明細表記載の約束手形四通を同三四年九月一日より同年一〇月二三日の間に割引いたことおよび滞納会社が同年一〇月三一日滞納会社振出の約束手形五通を不渡にした事実を認めるに十分である。原告は、割引手形買戻に関する約定書(乙第二号証)第二項の記載は、例文であると主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はなく、前掲各証拠によればその然らざることが認められるから右主張は採用できない。

〔2〕  被告は、不渡手形を出すということは、前記手形取引契約における割引手形買戻請求権発生条項の一つである「支払の停止」に該当すると主張するので検討する。

支払の停止とは、支払不能であることを外部に表示する債務者の行為であり、右行為は明示的なものは勿論黙示的なものも含み、要するに、債務者のある行為から客観的に存在する支払不能を推断できる場合を総べて包含するものと解するのが相当である。

手形の不渡は、債務者の支払不能を表象する黙示的な行為の最も端的な事例であることは経験則上明らかであり、また、前示認定事実によると

(1)  滞納会社の経営内容は昭和三四年四、五月頃より悪化の一途をたどり、同年九月以降は不渡手形を出しかねない危険な状態にあつたこと

(2)  従業員の給料すら支払に窮していたこと

(3)  被告銀行から警戒され、また、同年一〇月三一日に至ると取引銀行の大和銀行から融資を拒否され、取引先の大和商会すら滞納会社を責極的に援助しようとしていなかつたこと

(4)  同年一〇月三一日現在で負債が金八、〇〇〇万円にも達し資産たる土地建物等もすべて担保権が設定されていたことが明らかであり、これら事実関係から徴すれば、滞納会社の経済人としての信用は全く失われており、債務超過の状態で、即時に弁済すべき債務につき弁済能力を欠き、この欠缺も継続するもの、したがつて支払不能の財産状態にあつたと推認することができる。そうだとすれば、本件において、滞納会社がその振出にかかる手形を不渡とした事実は、前記手形取引契約における支払の停止に該ると解するのが相当であつて、これに反する原告の主張は採用できない。

〔3〕  そこで次に買戻請求権の発生について審究する。

手形(小切手)の不渡とは、その満期日に支払呈示があつたにも拘らず、支払が拒絶されることをいうところ、前示(三)(四)の認定事実によると昭和三四年一〇月三一日滞納会社振出の約束手形五通は各持出銀行より手形交換所を経て支払担当銀行である大和銀行三河島支店に対し支払の呈示があつたが、同日右三河島支店には滞納会社の当座預金残額はなく結局支払ができず同日午後四時頃までには既に不渡手形として各持出銀行に返還するために右支店の母店である同銀行東京支店に返送されていたというのであるから、遅くとも、特に当日が土曜日であることを考え合わせると、右の時点で不渡になつたものと解するのが相当である(本件で右不渡が支払の停止に該ることは前に判断したとおりである)。ところで(証拠省略)によると、滞納会社に支払停止の事実が発生した場合には、被告銀行は当然に割引手形の買戻請求権を取得することが認められるばかりでなく、仮りに右買戻請求権の取得には被告会社の特段の意思表示を要するものと解するとしても、前認定の事実によれば、同年一〇月三一日午後四時頃、被告支店の支店長代理時岡道善は、同支店に来た滞納会社社長高野三郎に対し、同日満期の手形が不審になつたら滞納会社の依頼により被告銀行で割引した手形を買戻すように求めたこと、また、右手形の不渡という事実自体はこの時存在していた(しかも、右時岡がこの事実を知つていたことは前に認定したとおりである)ことが認められるから、右は買戻要求の意思表示として有効と解するのが相当であり、したがつて被告はおそくともこの時点において滞納会社に対し割引にかかる別紙第三明細表記載の約束手形につき買戻請求権を取得し、したがつてこれに基づく手形金合計金六三〇万円の支払請求権を有するにいたつたものと認むべく右支払義務は、その性質上買戻要求の意思表示と同時に弁済期にあると解するのが相当である。

〔4〕  そして、(証拠省略)によれば、被告は昭和三四年一一月二四日滞納会社に対し右金六三〇万円の支払請求権を自動債権とし、原告が差押をなした別紙第二明細表記載の預金返還請求権(預金元金合計金四七四万二六二七円および(2)ないし(7)の預金債権につき右同日までの利息金合計金六万六三一六円)を受働債権として、その対当額において相殺する旨の意思表示をなし、右意思表示は同日滞納会社に到達したことが認定でき、右認定を左右する証拠はない。(もつとも、右預金債権のうち別紙第二明細表記載(3)の預金債権は滞納会社のものではなく、高野三郎個人の債権であることは前認定のとおりであるが、右高野は滞納会社の被告に対する一切の債務を連帯して保証したことも前示認定のとおりであるから、被告がこれをもつて、受働債権とすることができるのは明らかである。)ところで、被告の右相殺の意思表示到達時に、被告の滞納会社に対する前記各預金返還債務のうち、別紙第二明細表記載の(4)ないし(7)の債務の弁済期は未到来であつたけれども、右認定事実に徴すれば、被告支店は右弁済期未到来の事実を認識して相殺の意思表示をなしたことが明白であるから、その期限の利益を放棄したと推認できる。そして、かかる場合、相殺の効力は、特段の事情のない限り、自働債権の弁済期に遡ると解するのが相当である。

〔5〕  そうだとすると、被告のなした相殺の意思表示は有効であり滞納会社の被告に対する本件預金債権は、それが相殺適状にあつた昭和三四年一〇月三一日に遡つて相殺により消滅したものというべきであるから、その以後である同年一一月五日になされた原告の本件債権に対する差押は、結局その効力を有しないものといわなければならない。

四、よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 下関忠義 中島恒 大沢巖)

別紙 第一ないし第三明細表(省略)

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